お江戸で町方が取り締まる犯罪とお裁きを調べてみました。
以下、罪の軽い順から並べてみます。
賭博と隠売女(吉原以外の私娼)。これはお金を取り上げられる財産刑に処されました。
軽い盗み。敲き(たたき)。これは庶民に限ったみたいです。50叩き、100叩きのアレ。
一度敲きを処された者の軽い盗み。こうなると入れ墨の刑です。江戸じゃ二本ラインを入れました。
入れ墨は罪人のするもので、彫り物とは別です。入れ墨は処罰のオプションとして行われたようです。所払いになった人の腕に入っているのを時代劇で見たこと、ありますよね。
彫り物の方は、主に裸が商売の鳶の職人さん達が心意気を見せるのに入れたようです。
心中や賭博の取次ぎ、15歳以下の者の軽い盗み。
これは非人手下と言って、身分に対する処罰を課せられましたが、
やはり庶民に限ります。「非人頭の元に送り、その身分を非人とした」って、なんでしょうね。恥辱刑罰らしいのですが。
夫のない女と密通して誘い出した者、賭博罪は手鎖の刑だそうです。
手錠をかけたまま30、50、100日間、自宅謹慎。
木製の手錠でしたから重いし、手が擦り切れて痛かったらしい。
なによりその姿を人に見られるのは恥ずかしいわけです。恥辱刑の一種かな。
与力が直々に家に出張って手錠を掛け、鍵を保管しちゃうんですよ。
与力みたいな偉い人は、そうそう奉行所から出て来ませんから町中で「なんだ、なんだ」の大騒ぎになっちゃいますよね。これは恥ずかしーっ。
離別状を与えずに後妻を迎え入れた者、盗品と知って使用した者は所払い。
所払いってのは、今住んでいるところからの追放。基本的に無期。
酒に酔い他人に怪我を与えた武家の家来(なんかズルイ言い方だよね)、追放になった者を隠し置いた者は江戸払い。
江戸払いってのは、品川、板橋、千住、四谷大木戸のうち及び本所、深川をお構い場所(立ち入り禁止)にすること。
帯刀した百姓、町人は軽追放。田畑や屋敷を二重に質入した者、牛馬で人に怪我をさせた者、関所を忍び通った者、博打の主犯、寺持僧の女犯、過失殺人、年少者の殺人、放火は基本的に遠島。(15歳未満は保護観察)。
江戸十里四方追放と言う刑もありました。
江戸十里四方追放とは、日本橋から四方5里のうちをお構い場所にすること。
これら追放の刑は、どうも線引きが曖昧だったようです。
さて、ここから先が生命刑罰。
酒乱、乱心、人違いや喧嘩口論による殺人、情状酌量の余地があるケースの殺人は下手人(斬首)。
下手人と呼ぶのは殺人犯に限ります。「自らの手を下して人を殺した」と言う意味。
盗みを働いた者を下手人と呼ぶのは間違いなんですね。
喧嘩から殺人に発展した例でも、江戸払い、遠島になるケースもあったみたいで、この辺りはお奉行様の胸先三寸ってところでしょうか。
10両以上の盗み、偽証文で金を借りた者、辻斬りは死罪(斬首の上に試し斬り)。
主人の妻との密通、強盗殺人、おいはぎ、毒薬売りは獄門!(市中引き回しの上、斬首して晒し首)
放火は火あぶりの刑(市中引き回しの上、磔にされて火あぶり)。
主殺し、親殺し、主人傷害、関所を通らず山越えした者、通貨偽造は磔(はりつけ)!
磔にされて槍で突かれ、遺体は3日ばかり晒しものにしたそうです。
主殺しでも特に極悪な者は鋸轢き!ノコギリびきって嫌な響きだなぁ。
でも実際には首だけ出して生き埋め。ノコギリは置いておくだけで使わなかったらしいです。
これらが全て捕縛され、刑に処されたのかと言えば疑問です。
不義密通なんぞは山ほどあったそうだし、旦那にバレたら当事者同士で金品のやり取りをしてお終いなんてことは当たり前。
庶民は何事も穏便に済ませていたんですね。
そりゃそうだ。磔だの獄門だのって、誰だって嫌だよ!
江戸の処刑は一罰百戒と言って、一人を罰して見せしめにするやり方でした。
町人が武家の奥さんと不義密通しても、相手の女の方がお金を持っている場合がほとんどなので、
女が手切れ金を渡して内密に処理して終わる場合が多かったそうですよ。
浮気されたーなんて表沙汰にするのは、お侍のプライドが許さんでしょう(苦笑)
江戸では女の数が極端に少なかったので、所帯を持てる男はラッキーでした。
(女はできれば3度結婚しろ、みたいなお触書もあったくらいです)
女は大事にされましたし、おかみさんは偉かった。
なので、浮気された男の方が悪い!みたいな風潮もあったとか。
もっともそれは、庶民の中での話し。武家の女の立場は厳しかったようです。
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